ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。
夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。
確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。
自由に生きていい。そう言われても、
「どう生きればいいの?」
「このままでいいのかな」
「枠にはめられたくない」
私たちの悩みは尽きない。
選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。
ほら、今も誰かが店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……
連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」
第25回目となる今回は番外編。オーストラリア・シドニー在住のフォトグラファー兼映画エキストラ、アマチュアジャズシンガーの井上直美(以下、直美)さんを国を越えて訪ねます。
待ち合わせは港近くの見晴らしの良いカフェで
── こんにちは。素敵なカフェを待ち合わせ場所にしてくれてありがとう。
直美 こんにちは。ここ、現代美術館の最上階のカフェは景色が最高で。シドニーのシンボル「オペラハウス」や「ハーバー・ブリッジ」が見渡せるし、午前中はひとが少ない穴場なんです。
── シドニーに住んで、何年目?
直美 もう20年……以上経ったかなぁ。
── どうしてあなたは、シドニーに?
直美 日本で出会ったパートナーが帰国するのに合わせて、26歳のときにふらりと。
こんなに長く住むことになるなんて思っていなかったけれど、今はオーストラリアが大好きです。こういうのを、肌が合うって言うのかもしれない。
── ふぅん。私もオーストラリアが大好きになったわ。だから、とてもうらやましい。
あなたのブログに、仕事を3つ掛け持っていると書いてあった。フォトグラファーと、映画エキストラと、アマチュアジャズシンガー。組み合わせが、異色に見えるの。今日はこの景色を楽しみながら、たくさん話を聞かせて頂戴な。
飲み物は……そうね、ラテで良いかしら。オーストラリアで言う、ただのコーヒーだけれど。買ってくるから、ちょっと待っておいて。
複数の仕事を組み合わせて異国で生きる
── メインの仕事は、どれ?
直美 主宰しているフォトスタジオ「galopine photo + design」のフォトグラファーです。お客さまの依頼に合わせて、家族写真やお子様、ペットやポートレート、着物での七五三や成人式用写真など、オーストラリアで和の要素を取り入れた撮影を得意としています。
でも依頼ありきの仕事なので、毎日必ず仕事が入ると決まっているわけではありません。
直美 一方、春夏は映画エキストラの仕事の繁忙期。オーストラリアはアメリカと季節が逆なので、向こうが冬に入る9月頃から4月頃まで、ハリウッド映画の撮影がたくさん行われます。だから、春夏は映画エキストラのために予定を多く空けておいて、秋冬はアマチュアジャズシンガーの活動時間を増やす。
こんな感じで、3つの仕事をバランスよく組み合わせながら暮らしています。
── へぇ。……ねぇその映画エキストラの仕事っていうのは、何なの? あれなの? たくさん人がわーっといる中に、混じるというような……。
直美 ふふ。オーストラリアには、日本のようなアイドルや、スターがテレビを賑わすような、いわゆる日本のTHE・芸能界のような世界がないんですね。
── そうなの?
直美 日本みたいに、どんな美人であっても街を歩いていてスカウトされるということはありません。自分で事務所に応募しないと何も始まらない。エキストラは、この国では1つの職業なんです。さすがに映画主演に大抜擢はないけれど、重要な役や、たとえばテレビのCM出演などもエキストラが担当することが多いです。
── へぇ。
直美 私がエキストラの仕事を始めたきっかけは、数年前に偶然、映画『ウルヴァリン:SAMURAI』の撮影がシドニー近郊であると偶然知って、一般公募に応募したこと。
そこで仲よくなったスタッフさんに、エキストラのエージェントがあることを教えてもらって、以後登録。ありがたいことに、最近は指名で仕事が入ることがとても増えているんです。
── なんだか楽しそうね。
直美 じつは昔、少し映画の仕事をしていたことがあって。撮影現場は楽しいですし、また映画に関われて嬉しいし、アンジェリーナ・ジョリーに挨拶とかできると、やっぱりね。ミーハーみたいだけれど、「わぁ!」と思いますよ(笑)。
── 私もエキストラ、やってみたくなってきたわ……。
直美 でもそういえば、私のNGで、ケイト・ブランシェットの演技を止めてしまったこともありましたね……。
── えっ……。
諦めた夢にいつか繋がる道もある
── 昔、映画の仕事をしていた、というと?
直美 私の出身は山形県。学生の頃から映画の世界に憧れて、高校卒業と同時に上京して映画科のある専門学校に進学し、そのまま映画制作の道へ。若い頃は、東京で助監督として働いていた時期もあったんです。
── そうだったのね。
直美 一方で私は、生まれつき心臓に少し問題を抱えていました。「突発性頻脈症」というのですが、普段はみんなと同じように暮らせるけれど、発作が起きると心臓だけ100メートル全力疾走しちゃったみたいに、突然脈が上がってしまう。それが、いつ来るかわからないという病気です。
学生時代なら何とかなっていたんですが、さすがに多忙な映画撮影の現場で発作が起きたら対応できないし、周りにも迷惑がかかる。これじゃいけないな、やっぱり私には無理なんだな、と思って諦めて20代中盤のときに、東京から山形に戻りました。
── そう……。
直美 とにかく映画の仕事のことしか考えてなかったから、すっかり心が折れてしまって。次に何をしようという目標もなく、似たような仕事を探して広告代理店に勤めたりもしました。
でも本当にやりたいことじゃなかったから、日々の業務をこなすような感じ。もう、その頃からは諦めの人生に拍車がかかりました。「私が居なくなっても、誰も困らないようなポジションで生きていこう」って、無意識に考えるようになっちゃって……。
── なんだか少し、悲しい響きね。
直美 そんな時、日本にワーキングホリデーでやってきた今のパートナーに、偶然山形で出会いました。オーストラリアの国土は日本の約20倍。彼は、東京も地方もそんなに発展具合は変わらないだろうと考えたらしく、仕事を斡旋してくれる会社に「日本のどこでもいい」と申告して、なぜか山形の温泉街で働くことになりました。出会いのきっかけは、先に知り合っていたオージー(オーストラリア人の愛称)たちの宿泊所に遊びに行ったこと。
ビザが切れるタイミングで、「どうしようか?」と言われました。で、「じゃあ、次は私が行く番にしようか」と深く考えずに彼の出身地であるシドニーに渡豪。気が付いたら20年。なりゆきで生きてきたから、友人たちにはよく考えなしって言われます(笑)。
── あら、いいじゃない。私はなりゆき、大好きよ。だって本当のなりゆきなんてない。その時々できちんとあなたは何かを選んできたはずだし、そのための準備や縁も、育んできたはず。
直美 だといいんですが……(笑)。
人生30代からが本番だ
── 人生を諦めかけたことのあるあなたが、どうして今、こんなに楽しくシドニーで暮らせるようになったのかしら。何か変わるきっかけがあったの?
直美 うーん……自分で言うのも何ですが、私の人生は波乱万丈だったんです。いくつかの転機と、おおらかなオーストラリアでの暮らしを経て、30代以降は人生観が大きく変わっていったのだと思います。
中でも、39歳の時の「突発性頻脈症」の手術成功と、その直後の兄の死は、やっぱりすごく大きな影響がありました。
── そうなのね。
直美 オージーは人生を楽しむことが上手なんです。私も移住してから、ずいぶんその明るさに触発されました。手術が成功してからは、ますます「私も何か、人生を楽しめることを見つけたい」と思うようになって。「これから何だってやれるんだ」という真に前向きな状態は、その時が人生で初めてでした。
そして手術直後の兄の死は……どう向き合っていいのか、全然分からなくて。彼は彼で家庭を持っていたし、何よりずっと離れて暮らしていました。亡骸にすがりついて泣き暮れる……というのも違う気がしたし、とにかく兄の死との距離感をどう持てばいいのか判断つかなかったんです。
葬儀が落ち着くまでは涙も出なかった。喫茶店に入って、これからどうしようと考えている時に、ふとジャズが耳に入ってきました。
普段、ジャズなんて全然聞かないのに、なぜか曲名だけは分かった。というのも、兄は音楽が大好きな人だったんです。たくさんの音楽を聞いて自分でも楽器を演奏していました。「小さい頃から横で一緒に聞いていたから分かるんだな」と気が付き、これが兄が私に残した、彼との唯一の絆なのかもと。
── ジャズはいいものよ。
直美 その後、シドニーに戻ってから、クマガイユキさんというジャズシンガーの方に弟子入りするような形で、ジャズを歌い始めることにしました。兄の子どもも、ピアノを習い始めて。なんだか兄と私たちをつなぐものが、音楽のような気がしていたんでしょうね。
……でも、そのうち、ジャズを通して自分自身が慰められるようになっていったんです。
── 慰められる?
直美 「笑顔で上を向いていたらね、いつか人生そんな捨てたもんじゃないよって思えるときがくるよ」という歌詞とかね。「絶対幸せになれる」という断定じゃない言い方が、なんだか身に沁みて。
何より、ジャズを楽しむのに年齢とか関係ないんです。若いひとはもちろん、杖をつきながらRSLクラブ(*)に来ておどる年配夫婦、80歳を超えても現役トランペッターとして活躍するおばあちゃんなどが、オーストラリアにはたくさんいます。
(*)RSLクラブ:Returned Services Leagueの略で、退役軍人教会のこと
オージーは、何歳になっても何か夢を追いかけているんです。たとえ主婦であっても、それにとどまらない。いつも何か楽しみを見つけて、学んで、毎日を笑顔で生きる。日本みたいに「若いひとに混じって勉強するなんて恥ずかしい」なんて感覚もないから、大人になってから学校に通うひともたくさんいます。
ジャズを始めて心が上向いて。当時は他の仕事もしていたのですが、カメラの仕事ひとつに絞ろうと決められたのもこの時期です。以前からそうしたかったのですが、経済的理由で諦めていました。でも、一番好きなことをしようと。
── へぇ。
直美 エキストラも、言ってみれば昔諦めた夢への新しい関わり方を見つけたという感じ。もう現場仕事は無理だけれど、一度参加してみて「こんな映画への関わり方も、あるんだな」と思えたんです。
さらには、エキストラってメインではなく「とある街の一人」だから、太っていても痩せていても、若くても老いていても関係なくて今のままの自分でいい。仕事する上で、何も着飾る必要がないし、それがすごく楽だなって。
── 良い仕事ね。
直美 日本にいる時は周りからどう見えているだろうとか、浮いていないかなって、すごく気にしていました。それがオーストラリアに来て、なくなったかな。日本に比べて言葉の裏を読んだり空気を読んだりする必要がないし、いつもマンツーマンで、自分が対峙している相手がよく見える。喧嘩してもまたスッキリ仲良くなれます。
うん、私、オーストラリアが好きなんでしょうね。肌にやっぱり、合っている。この歳になると老後の過ごし方を考えることもありますが、骨を埋めるならオーストラリアかなって、今は考えています。
【かぐや姫の胸の内】いつか月に帰ってしまうとしても
直美 そうそう。ジャズの師匠がくれた言葉で、今でもとても印象に残っているものがあるんです。
「何があってもライブだから、受け入れていくしかないの。もし失敗したとしても、それが今の私だし、それで人生が終わるわけじゃない。むしろどんどん新しい扉が開いていく」。
彼女はきっと、音楽のライブについて言っていたと思うんですが、私には「何があっても受け入れて、この先も行きていかなくちゃ!」というメッセージにも聞こえました。それからは、何か緊張することがあったら「人生何があってもそれがライブ!」と唱えるようになって。
「誰かを引きずり落とすから自分が上がるんじゃなくて、自分自身がステップアップすることを考えなくちゃ」など、師匠がくれた言葉の数々が、私の血肉になっています。
── ふぅん。あなたはシドニーで暮らし始めてから、人生がすごく変わっていったのね。
とても楽しい話だったわ。ねぇ、最後にひとつだけ聞かせて。かぐや姫は、月に帰ってしまった……。もしあなたが明日月に帰るとしたら、最後の日は何をする?
直美 えっ!? ……普段通り、だと思います。何か壮大な夢もないし。好きなものをつくって食べて、大好きな飼い猫のゆずとずーっと遊んで。家族とゆずちんに、笑顔でおやすみって言えたらいいかなぁ。あと最後に家族写真を撮りたいですね。
── いいわね。毎日が充実している証拠だわ。私もそうやって生きていきたい。いつかの未来を期待するより、毎日を慈しむような。今日は楽しい時間をありがとう。オーストラリア、本当に好きになった。またきっと、すぐに遊びに来るわ。その時、また新しい話を聞かせてね。
直美 ぜひ。じつは、最近10歳を迎えたゆずのことも考えて、ペット介護士の仕事も始めようと思っていて。すでに資格もとったんです。3足のわらじならず、4足、5足。オージーのように私も、人生を楽しみ尽くしたいと思っています。
── ……羨ましい限りだわ。
お話をうかがったひと
井上 直美(いのうえ なおみ)
フォトスタジオ「galopine photo + design」主宰のフォトグラファー。オーストラリア・シドニー在住歴22年。飼い猫・ゆずを溺愛し、映画エキストラ、アマチュアジャズシンガーの3足のわらじを履き替えながら、そのバランスを楽しんでいる。近い未来、ペット関係のナニゴトかを企み中。
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